北海道の縄文文化

縄文文化が生まれた自然環境

北海道は日本列島の北に位置し、周囲を3つの海に囲まれています。

海流などの影響から地域ごとに気候に違いがあり、太平洋には寒流が流れていて夏には海霧が発生します。日本海には暖流が北上し、冬には北海道西部にたくさんの雪を降らせます。オホーツク海は北半球ではもっとも南に位置する凍る海であり、冬には流氷が北海道に流れてきます。

2万年ほど前の最終氷期のもっとも寒い時には、水深の比較的浅い宗谷海峡と間宮海峡は海水面の低下によって陸化し北海道とサハリンは大陸の半島となっていましたが、氷期が終わると気候の温暖化に伴い海水面が上昇し、北海道は四方を海に囲まれた島になりました。

温暖化の兆しが見え始める1万5千年くらい前になると、日本列島では縄文文化がはじまり、しだいに列島全域へと伝わっていきました。北海道では、本州よりやや遅れて1万4千年前ころの縄文土器が発見されています。縄文文化がはじまって以降、北海道は南から北から海を越えてやってきた人や文化の交差点となり、縄文文化とそれを受け継ぐ続縄文文化が1万年以上にわたって続きました。

定住の始まりと集落の形成

道内最古の大規模集落遺跡・中野B遺跡
 ~津軽海峡に面した函館空港敷地内

縄文文化は、今から約1万5千年前から2千300年前まで1万年以上にわたり日本列島に展開しました。

縄文人は、旧石器時代から続いた移動生活を離れ、土器や弓矢などの道具を使い、狩猟・漁労・採集を生活の基盤としながら、竪穴住居を建てて定住生活をするようになりました。世界的にみると、新石器時代の定住は農耕を生活の基盤としていますが、縄文文化は農耕を持たない文化でありながら定住をしており、その点で世界的にもまれな文化と言えます。

道内最古の大規模集落遺跡は、函館市の中野B遺跡です。同時期に存在した住居は10~20軒程度と考えられますが、9千年ほど前の縄文早期の竪穴住居跡が500軒以上も見つかっており、縄文の人びとが長期間にわたって暮らしたことがわかっています。

縄文前期から中期になると集落の規模が大きくなります。函館市の大船遺跡は、今から4千500年前の縄文中期の集落跡で、7万2千m²におよぶエリアに大規模な集落が500年以上継続して営まれました。竪穴住居のなかには深さ2mを超す大型のものも発見されています。遺跡からは食料となったクジラやマグロの骨、クリの実などが出土しており、目の前に広がる海と背後の山々などから豊かな自然の恵みがもたらされていたことがわかります。

石狩市の紅葉山49号遺跡では、縄文中期の川底からサケを捕るための柵の支柱が発見されています。サケ・マスは現在も北海道の重要な水産資源ですが、縄文時代も人びとの貴重な糧でした。その漁法は完成の域に達しており、豊かな自然のなかで多様な漁が営まれ、縄文人の暮らしを支えていました。

海を越えた交易

ヒスイのネックレス:新潟産のヒスイなどでできたネックレス
黒曜石の石器:白滝産の黒曜石
貝腕輪:副葬品として身につけられていた貝製の腕輪

縄文人は,自然の恵みによって定住生活を送りながら、一方で、海を越えて本州との交易も行っていました。

勾玉など装飾品の素材として使われたヒスイは多くが新潟県産ですし、腕輪の中には南の海でしかとれない貝・オオツタノハで作られたものが見られます。また、接着剤として使用した天然アスファルトは、秋田県産や新潟県産のものが見つかっています。

遠軽町白滝には国内最大級の黒曜石原産地があります。黒曜石は火山岩の一種で天然のガラスです。黒曜石を割った破片の鋭利な縁辺が刃物に適しているため広く流通しました。北海道の黒曜石で作られた石器が本州やアムール川流域から見つかっており、私たちの想像を越えたダイナミックな交易が行われていたことが分かります。

縄文土器に詰められた天然アスファルト

自然との共生

北海道の四季

縄文人たちは、周辺の自然環境と調和しながら集落をつくり、豊かな定住生活を送っていました。そこには、自然のバランスを壊すことによって自然の恵みが得られなくなり、自らの生命を危うくすることを避ける知恵があったと考えられます。

また、1万年という長い年月の間には、現在よりも温暖な時期もあれば、逆に寒冷化した時期もあるなど気候や環境は大きく変化しました。この間、縄文人たちは、その時々で生活様式を工夫し環境の変化に適応しながら暮らしました。人びとは四季の移り変わりのなかで厳寒の冬の後には草花が芽吹く春がやってくることを知っていました。そして、こうした自然の有り様から、人や動植物が死んであの世へ行って、再びこの世に還ってくるという「命の循環と再生」の思想を育んだものと推測され、自然と共生する持続可能なライフスタイルが世代から世代へと引き継がれました。

北海道独自の歴史の歩み

約2千300年前から(最近では約3千年前とも言われています)北部九州にはじまった水稲耕作を伴う弥生文化は、やがて本州北部まで広がりました。

しかし北海道では稲作を取り入れず、縄文文化の特色を受け継ぐ続縄文文化へと続きました。北海道の続縄文文化は、5世紀ごろにサハリン方面から南下してきたオホーツク文化の影響を受け、さらに8世紀ころには本州の文化の強い影響を受けて擦文文化へと大きく変わりました。そして14世紀頃にはアイヌ文化へと移行していく独自の歴史を歩んできました。縄文以降アイヌ時代までの北海道は、自然を開発して都市を建設する文明の道ではなく、一貫して自然との共生を大切にする「循環と再生」の道を選択してきました。