北の縄文講座

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縄文へのいざない(7)

大島直行・伊達市噴火湾文化研究所長

水場遺構*「作業場」に供養の精神

水場(みずば)と呼ばれる遺跡が登場したのはごく最近のことだ。それまで水につかった遺跡は、低湿地遺跡などと呼んできた。木製の道具が腐らずに出てくるので貴重だった。

一九八二年、埼玉県の赤山陣屋跡遺跡で驚くべきものが発見された。何と、トチの実を水で晒(さら)し、アクを抜くための木組みが出てきたのである。四角に組まれた立派な施設だ。底には板も敷いてあり、近くには、これ見よがしに大量のトチの実の皮が塚をなしていた。

以後こうした遺跡の発見が全国で相次ぎ水場遺構の名が一般化した。最近では、川岸を造成した水くみ場や洗い場なども水場遺構として報告されている。栃木県の寺野東遺跡が有名だし、伊達の北黄金貝塚からも同様の施設が見つかった。

また、三内丸山遺跡では、板やくいで岸辺を護岸した例や、湿地内を歩きやすくするための木道まであるという。さらに東京都の下宅部遺跡では、建築部材が多数出たことから貯木場の可能性がささやかれた。何とも信じられないような話だ。

*関東・中部に多く

このように水場遺構というのは実に内容が多彩であるが、水くみ場であれ、木道であれ、結局のところ作業場としての役割がみて取れるようだ。もちろん作業場は、縄文時代の生業や技術を考える上ではたいへんに重要な資料である。

こうした作業場は、特に関東地方から中部地方にかけての地域に多く見つかっていることも注目される。この地域ではトチやドングリの出土例も多く、水晒し場との関係を良く物語っているからだ。

ところで、水場遺構はすべてが作業場なのだろうか? 実はそうではないようだ。

例えば、北黄金貝塚の水場は、使い終わった道具を供養するための祭祀(さいし)の場、いわゆる「物送り場」だ。もちろん、これを道具製作や調理のための作業場と考えることも可能であるし、現実に小樽の忍路土場遺跡ではそう結論付けている。

ここでは、北海道の遺跡では希(まれ)なトチの実が出たことから水晒し場と考えた。しかし、海産資源の豊富な北海道ではトチやドングリの利用は低調である。当然水晒し場の需要も少ないわけで、これまでの発見例は皆無だった。

史跡北黄金貝塚(伊達市)の水場の祭祀遺構。6000年前、わき水のそばに何千個もの石の皿とすり石が置かれていた。すべてが壊れていることから、アイヌ民族の「物送り」儀式が思い浮かんだ。現代ならさしずめ「針供養」だ

史跡北黄金貝塚(伊達市)の水場の祭祀遺構。6000年前、わき水のそばに何千個もの石の皿とすり石が置かれていた。すべてが壊れていることから、アイヌ民族の「物送り」儀式が思い浮かんだ。現代ならさしずめ「針供養」だ

*木組みは祭壇に

そこでこの忍路土場の水晒し場を分析してみた。するとあることに気づいた。それは、この遺跡から出た木組みが水晒し用の台として、土器や石器は晒し作業用の道具、そして一緒に出た動物の骨は調理の痕跡として、トチの実はもちろん晒しの証拠として解釈されているのだ。

しかし、視点を変えると、木組みは祭壇に、土器や石器は供え物、動物や植物は祭祀の対象として考えることも可能なのだ。

私たちは、どうしても縄文人の生活を技術の視点で考えてしまいがちである。貝塚や土偶などを例に考えてきたように、縄文文化の特質は、実はそこには無いのである。儀礼や祭祀など精神文化の視点から考えた時、果たして本州の水場遺構の解釈も多少は変わるかもしれない。

おそらく、この絵にあるような感謝の祭りが行われたに違いない。男が手にする土器は、きっと供え物だろう。やはり底は打ち抜かれている(羽原哲也画)

おそらく、この絵にあるような感謝の祭りが行われたに違いない。男が手にする土器は、きっと供え物だろう。やはり底は打ち抜かれている(羽原哲也画)

忍路土場遺跡(小樽市)から見つかった3000年前の木組み。トチの実の水晒し用施設とされるが、自然に感謝する儀式に欠かせない祭壇にもみえる(道埋蔵文化財センター提供)

忍路土場遺跡(小樽市)から見つかった3000年前の木組み。トチの実の水晒し用施設とされるが、自然に感謝する儀式に欠かせない祭壇にもみえる(道埋蔵文化財センター提供)

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