北の縄文講座

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縄文へのいざない(3)

大島直行・伊達市噴火湾文化研究所長

「円」が好きな理由*生活と自然 等距離に

縄文人の円(まる)好きは有名である。とにかく何でも円くしてしまう。ストーン・サークルはもちろん、盛土遺構、貝塚、お墓、そして例は少ないが、大きな溝を巡らした「環壕(かんごう)」と呼ばれる不思議な遺跡まで。さらには竪穴住居の平面形や貯蔵用の穴、お墓にいたるまで、何でも円くする。なぜなんだろう? きっと何かしらわけがあるはずである。

先史文化の代名詞のように言われるストーン・サークルは読んで字の如しで、石を円く並べた場所だ。もちろん日本だけに限らない。あの有名なイギリスの「ストーン・ヘンジ」もこの類である。

このストーン・サークル、縄文時代には全国各地でつくられた。特に東北・北海道に多く、今回の世界遺産候補の目玉だ。ノミネートされた十五遺跡のうち、五カ所にこれがある。中でも、秋田県の大湯環状列石は、直径四十メートル以上もある立派なサークルが二つ。国の特別史跡第一号だ。

史跡キウス周堤墓群(千歳市)は3千年前の巨大な墓だ。最大のものは直径75メートルの円形に人工の土手が巡る(道埋蔵文化財センター提供)

史跡キウス周堤墓群(千歳市)は3千年前の巨大な墓だ。最大のものは直径75メートルの円形に人工の土手が巡る(道埋蔵文化財センター提供)

*宇宙人の基地?

ストーン・サークルは、さまざまな石組みの集合体だが、石組み自体はどうやらお墓らしい。しかし、あまりのスケールの大きさからか、昔から宇宙人の基地説がまことしやかにささやかれ、多くの考古学ファンを魅了してきた。

近年は、考古学者の小林達雄が、夏至や冬至など太陽の運行を知るためのカレンダー装置だという説を出し話題となった。宇宙人説もまんざらではないかもしれない。これは冗談。

ところで、ストーン・サークルがお墓であったり、カレンダーであったりしても、依然として解明されないのが円の謎だ。

次に盛土遺構。これも基本的には形は円だ。土を盛り上げてそこで儀式を行ったとの見方が一般的。何せ、翡翠(ひすい)のペンダントや土偶などがじゃらじゃら出てくるからだ。

世界遺産候補の三内丸山遺跡や函館の大船遺跡の盛土遺構はこれら遺跡の顔だ。しかし、何と言ってもすごいのは栃木県の寺野東遺跡。その大きさは直径百七十メートルの「まる」。巨大なエネルギーが儀式のために使われた証しだ。しかし、ここでも何故、円なのかは明らかではない。

*感謝の意思表示

このほかにも冒頭に列挙した円の遺跡は盛りだくさん。かくも縄文人が円を好む理由は、おそらくこうだ。

縄文人の社会は狩猟と採集の暮らしである。生きる糧の自然に対し畏敬(いけい)の念を持つのは当然である。そこで重要になってくるのが、自然に感謝するための意思表示だ。

儀式はもちろんそうした意思表示の中核だから、そのためのストーン・サークルや貝塚の場所を自然の中に確保しなければならなかった。また一方で、普段の生活の中でも彼らは村やお墓などの場所を確保する必要があった。

そこで縄文人は、無限とも言える自然の中で、人間が使える範囲をきわめてつつましやかに取り囲んだのではないだろうか。そして、生活空間と自然との間は等距離な方があらゆる自然に対して許しを請いやすいわけで、それが円だったのであろう。

史跡静川遺跡(苫小牧市)の「環壕」は全国的にもまれな祭祀(さいし)場だ。深さ2メートル弱の溝が台地の縁に巡る。すごい作業量である。ここにも縄文魂のすさまじさを垣間見ることができる(苫小牧市博物館提供)

史跡静川遺跡(苫小牧市)の「環壕」は全国的にもまれな祭祀(さいし)場だ。深さ2メートル弱の溝が台地の縁に巡る。すごい作業量である。ここにも縄文魂のすさまじさを垣間見ることができる(苫小牧市博物館提供)

史跡忍路環状列石(小樽市)は北海道を代表するストーン・サークル。数百キロもある石は、数キロ離れた場所から運んだらしい。縄文人にとってどれほどすごい意味があったかが理解できよう(小樽市教育委員会提供)

史跡忍路環状列石(小樽市)は北海道を代表するストーン・サークル。数百キロもある石は、数キロ離れた場所から運んだらしい。縄文人にとってどれほどすごい意味があったかが理解できよう(小樽市教育委員会提供)

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