北の縄文講座

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縄文へのいざない(2)

大島直行・伊達市噴火湾文化研究所長

ごみ捨て場?*貝塚に「物送り」の精神

貝塚が単なる「ごみ捨て場」ではないと最初に主張したのは、北海道大学の河野広道博士だ。一九三五年(昭和十年)、人類学の雑誌に「貝塚人骨とアイヌのイオマンテ」と題してそのことを書いた。

博士はもともと昆虫学の専門家で、雪虫と呼ばれるトドノネオオワタムシの不思議な生態を明らかにしたことでも有名である。学生時代から優れた業績をあげ、弱冠二十七歳で農学博士となった。

他方、博士は北海道史の大家であった父親常吉の影響もあって、アイヌ民族学や北方考古学にも数多くの業績を残した。

そうした業績の中で何と言っても特筆されるのは、貝塚に対する解釈であろう。

美沢4遺跡(苫小牧市)の5千年前の貝塚。ある場所を決めたら数百年もの間、そこに貝や魚の骨を整然と積み重ねる。決してごみ捨て場ではない(道埋蔵文化財センター提供)

美沢4遺跡(苫小牧市)の5千年前の貝塚。ある場所を決めたら数百年もの間、そこに貝や魚の骨を整然と積み重ねる。決してごみ捨て場ではない(道埋蔵文化財センター提供)

*人骨発見に着目

それまで貝塚はごみ捨て場と考えるのが一般的であった。しかし博士は、貝塚がアイヌ民族の儀礼の場である「物送り場」と同じ性格を持つものと考えた。貝塚からは、しばしば埋葬した人骨が発見されることに着目したからだ。実に卓見であった。

博士の研究から七十年を経た今日、貝塚の物送り場としての意義はさらに重要性を増してきている。すべての自然に感謝の気持ちを込めて、あの世に返すことで、また再びこの世に自然の恵みがもたらされるという世界観は、物におぼれ、自然を壊し続けてきた私たち現代社会への大いなる警鐘になりうるからだ。つまり、もし縄文文化が世界遺産として評価されるとしたら、それは、こうした現代にも通ずるような高い精神性に貫かれた文化だからなのである。

ところで、貝塚を神聖な場所として理解するのにうってつけの遺跡がある。後志管内泊村の茶津貝塚である。原発では有名だが、この貝塚遺跡を知る人は少ない。加工された真珠玉が出たことで、考古学者にはよく知られた遺跡だ。

縄文時代中期(四千年前)につくられたこの貝塚は、一般的な貝塚とは様子が違う。まず貝塚のある場所がすごい。海からそそり立つ海抜五十メートルの高台だ。海の幸をこの高台まで運ぶのは至難だったろう。

貝塚の中身も不思議だ。魚介類や動物の種類があるものに偏っているのだ。貝はイガイとマガキ。そしてオットセイやアシカなどの海獣である。それも大半が犬歯であり、しかもそれが釣り針や銛(もり)に加工されている。

北黄金貝塚(伊達市)の5千年前の墓は貝塚の中にある。大人の男性が手足を折り曲げて、あたかもお母さんのおなかの中に赤ちゃんとして帰るような姿勢で葬られていた

北黄金貝塚(伊達市)の5千年前の墓は貝塚の中にある。大人の男性が手足を折り曲げて、あたかもお母さんのおなかの中に赤ちゃんとして帰るような姿勢で葬られていた

*たくさんの乳歯

さらに驚かされたのは、貝塚の中からたくさんの人の歯が出てきたことだ。圧倒的に乳歯が多い。

直感的に、抜けた乳歯を屋根裏や縁の下に放り投げて、大人の歯が生えますようにと願った子供のころのことを思い出した。これは、おそらく縄文時代から連綿と引き継がれてきた習俗であろうとの思いを強くした。

案の定だが、この遺跡には家の跡がない。貝塚しかない。その貝塚の中身をみても生活のにおいが乏しい。実は、この生活のにおいのなさこそが、貝塚の本当の意味を象徴しているように思う。

埋葬人骨しかり、茶津貝塚の歯へのこだわりしかり、貝塚はごみ捨て場ではない。あの世とこの世を結ぶ壮大なコミュニケーションの場だったのだ。

茶津貝塚(後志管内泊村)は標高50メートルの高台にある。周囲は断崖(だんがい)絶壁だ。遺跡の向かいの台地を望むと、その高さと険しさがよくわかる

茶津貝塚(後志管内泊村)は標高50メートルの高台にある。周囲は断崖(だんがい)絶壁だ。遺跡の向かいの台地を望むと、その高さと険しさがよくわかる

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