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	<title>「北の縄文文化を発信する会」ブログ</title>
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	<description>北海道の縄文文化にまつわる講座、会員からのメッセージ、イベント情報等</description>
	<pubDate>Fri, 06 Aug 2010 05:10:12 +0000</pubDate>
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		<title>古代蝦夷の英雄時代</title>
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		<pubDate>Fri, 06 Aug 2010 05:01:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[推薦図書]]></category>

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		<description><![CDATA[
図書名：古代蝦夷（えみし）の英雄時代
著者：工藤雅樹
出版社：平凡社ライブラリー
発行：2005年
定価：1,300円+税

北海道は、明治開拓以前、本州側からは「えぞ蝦夷地」と呼ばれたが、「蝦夷 は先ずエミシと読まれ、平安時代後期からエゾと読まれるようになったということだ。 エミシという言葉には元々、強く、恐ろしく、畏敬すべき人といったニュアンスを伴っていたとされるが、本書の表紙にある異形の像は、蝦夷の族長・アテルイがモデルといわれる「悪路王」であり、まさにこうしたエミシのイメージを彷彿とさせてくれる。エミシは、５世紀以前には広く東国人を指し、６世紀から７世紀前半頃には仙台平野、米沢盆地、山形盆地、新潟平野、大化の改新以後は盛岡市と秋田市を結ぶ線以北に住む人々意味するようになるなど、朝廷の直轄支配地が拡大するのに従ってエミシの住むところは北上していった。
エミシとは何かについては、アイヌ説と日本人説が学会を二分してきた。アイヌ説は江戸時代の新井白石や本居宣長、シーボルトまで遡り、宣長は、長いヒゲを蓄えた姿をエビになぞらえたのがエミシの語源であるとした。一方、考古学の成果で弥生時代に稲作が東北北部まで広がっていたということが確実になると、日本人説が優位になった。しかし著者は、どちらかが正しくてどちらかが誤りという問題ではないと考え、特に北海道の歴史に対する認識を深める中で、エミシとエゾの実像に迫ろうとする。
一度は東北北部まで達した稲作の北限は、古墳時代になると寒冷化とともに南下し、東北北部は北海道の続縄文文化に包含される。再び温暖化に転じた７世紀中頃から農耕が復活し、族長の墓である古墳が作られるようになった。「この地域の縄文人の子孫は、平安時代の末近くまでは、北海道の縄文人の子孫、すなわち後にアイヌ民族を形成することになる人々とほとんど同じ道をたどったということができる」と著者は言う。 本書には、東北各地に残るアイヌ語由来と思われる多くの地名、マタギ言葉とアイヌ語の共通性などが示され、「これらは十分に問題となりうる としている。断定こそしていないが、著者は古代蝦夷とアイヌ民族の祖先との関連性を重視している。
大化の改新後、朝廷は東北地方に城柵を造営して支配地の拡大に乗り出し、阿部比羅夫による北方遠征、アテルイ率いる胆沢地方の蝦夷と坂上田村麻呂との戦いなどが行われた。724年に多賀城を造営した大野東人が後に山形から峠を越えて秋田に入ろうとした際、雄勝村の蝦夷に進軍を拒否されたいい、朝廷の力の及ばない土地であったことが分かる。一方、778年に唐から使節が来た際、陸奥や出羽から蝦夷を呼び寄せ儀式に参列させたという記録があり、蝦夷と表記されるようになったエミシは天皇に服属する辺境の異民族という役回りを与えられた。
このような中で、城柵は軍事拠点であると同時に交易の拠点でもあり、陸奥や出羽の国からは毛皮、砂金、昆布などが都への貢ぎ物として上納され、これらは蝦夷との交易によって入手された。また、下級官吏も蝦夷との交易で手に入れた品を都の貴族への贈り物とし猟官活動を行ったこと、交易のトラブルが蝦夷の乱を引き起こしたことなどが菅原道真の歌にあるそうだ。
本書のタイトルにある「英雄時代」とは、古代蝦夷が村の族長に率いられる部族社会で、時には村同士が戦い、時には蝦夷が連合して政府軍と戦い、時には一部の蝦夷が政府軍に協力して対立する蝦夷と戦うといった戦乱の時代であり、族長たちは自ら戦いの先頭に立つ「英雄」だった、ということを意味している。著者はそうした英雄像を、アイヌ民族に伝わるユーカラの中に見出そうとする。
エミシの住む所は、稲作を基盤に国土を広げていった政府にとってのフロンティアであり、貴重な北の産物を手に入れる交易の接点であった。これを北海道の島からみた場合、エミシは古代の北海道人の姿を映す鏡と言えるだろう。
縄文時代、津軽海峡を挟んで北海道南部と東北地方は共通の文化圏を形成していた時期が長く続いた。同じ形式の土器を使い、共通する祭祀を行っていたということは言葉も共有していたのではないだろうか。一時は北東北まで稲作が伝わり、稲作を伝えた人々が移住してきたが、寒冷化とともに稲作最前線が南下すると、北海道と北東北の関係は再び強まり、続縄文文化圏となった。東北地方のアイヌ語地名と思われる土地の呼び名は、この当時以前の名残りとしか考えられないので、だとすると北海道の続縄文文化の担い手もアイヌ語のような言葉を話す人々であったと考えても不自然ではないのではないか。
蝦夷の歴史を通して、続縄文からアイヌ文化期に至る北海道の歴史を考えると、札幌大学の本田文化学部長が提起されているように、「アイヌ文化期」という名称には疑問を投げかけざるを得ない。縄文、続縄文、擦文と「道具」を指標として時代を区分しながら、それ以降について「アイヌ」という民族名を冠した名称を用いるのは一貫性がなく、「鉄鍋文化」とでも呼ぶのがふさわしいのではないか。一方、民族に着目するならば、エミシの歴史に見るように、戦いと交易が盛んに行われたアイヌ民族の「英雄時代」の始まりは、１３世紀や１４世紀より相当遡ってしかるべきだろう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/08/kodaiezo2.jpg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-393" title="古代えみし蝦夷の英雄時代" src="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/08/kodaiezo2-141x200.jpg" alt="古代えみし蝦夷の英雄時代" width="141" height="200" /></a></p>
<p>図書名：古代蝦夷（えみし）の英雄時代</p>
<p>著者：工藤雅樹</p>
<p>出版社：平凡社ライブラリー</p>
<p>発行：2005年</p>
<p>定価：1,300円+税</p>
<p><span id="more-380"></span></p>
<p>北海道は、明治開拓以前、本州側からは「えぞ蝦夷地」と呼ばれたが、「蝦夷 は先ずエミシと読まれ、平安時代後期からエゾと読まれるようになったということだ。 エミシという言葉には元々、強く、恐ろしく、畏敬すべき人といったニュアンスを伴っていたとされるが、本書の表紙にある異形の像は、蝦夷の族長・アテルイがモデルといわれる「悪路王」であり、まさにこうしたエミシのイメージを彷彿とさせてくれる。エミシは、５世紀以前には広く東国人を指し、６世紀から７世紀前半頃には仙台平野、米沢盆地、山形盆地、新潟平野、大化の改新以後は盛岡市と秋田市を結ぶ線以北に住む人々意味するようになるなど、朝廷の直轄支配地が拡大するのに従ってエミシの住むところは北上していった。</p>
<p>エミシとは何かについては、アイヌ説と日本人説が学会を二分してきた。アイヌ説は江戸時代の新井白石や本居宣長、シーボルトまで遡り、宣長は、長いヒゲを蓄えた姿をエビになぞらえたのがエミシの語源であるとした。一方、考古学の成果で弥生時代に稲作が東北北部まで広がっていたということが確実になると、日本人説が優位になった。しかし著者は、どちらかが正しくてどちらかが誤りという問題ではないと考え、特に北海道の歴史に対する認識を深める中で、エミシとエゾの実像に迫ろうとする。</p>
<p>一度は東北北部まで達した稲作の北限は、古墳時代になると寒冷化とともに南下し、東北北部は北海道の続縄文文化に包含される。再び温暖化に転じた７世紀中頃から農耕が復活し、族長の墓である古墳が作られるようになった。「この地域の縄文人の子孫は、平安時代の末近くまでは、北海道の縄文人の子孫、すなわち後にアイヌ民族を形成することになる人々とほとんど同じ道をたどったということができる」と著者は言う。 本書には、東北各地に残るアイヌ語由来と思われる多くの地名、マタギ言葉とアイヌ語の共通性などが示され、「これらは十分に問題となりうる としている。断定こそしていないが、著者は古代蝦夷とアイヌ民族の祖先との関連性を重視している。</p>
<p>大化の改新後、朝廷は東北地方に城柵を造営して支配地の拡大に乗り出し、阿部比羅夫による北方遠征、アテルイ率いる胆沢地方の蝦夷と坂上田村麻呂との戦いなどが行われた。724年に多賀城を造営した大野東人が後に山形から峠を越えて秋田に入ろうとした際、雄勝村の蝦夷に進軍を拒否されたいい、朝廷の力の及ばない土地であったことが分かる。一方、778年に唐から使節が来た際、陸奥や出羽から蝦夷を呼び寄せ儀式に参列させたという記録があり、蝦夷と表記されるようになったエミシは天皇に服属する辺境の異民族という役回りを与えられた。</p>
<p>このような中で、城柵は軍事拠点であると同時に交易の拠点でもあり、陸奥や出羽の国からは毛皮、砂金、昆布などが都への貢ぎ物として上納され、これらは蝦夷との交易によって入手された。また、下級官吏も蝦夷との交易で手に入れた品を都の貴族への贈り物とし猟官活動を行ったこと、交易のトラブルが蝦夷の乱を引き起こしたことなどが菅原道真の歌にあるそうだ。</p>
<p>本書のタイトルにある「英雄時代」とは、古代蝦夷が村の族長に率いられる部族社会で、時には村同士が戦い、時には蝦夷が連合して政府軍と戦い、時には一部の蝦夷が政府軍に協力して対立する蝦夷と戦うといった戦乱の時代であり、族長たちは自ら戦いの先頭に立つ「英雄」だった、ということを意味している。著者はそうした英雄像を、アイヌ民族に伝わるユーカラの中に見出そうとする。</p>
<p>エミシの住む所は、稲作を基盤に国土を広げていった政府にとってのフロンティアであり、貴重な北の産物を手に入れる交易の接点であった。これを北海道の島からみた場合、エミシは古代の北海道人の姿を映す鏡と言えるだろう。</p>
<p>縄文時代、津軽海峡を挟んで北海道南部と東北地方は共通の文化圏を形成していた時期が長く続いた。同じ形式の土器を使い、共通する祭祀を行っていたということは言葉も共有していたのではないだろうか。一時は北東北まで稲作が伝わり、稲作を伝えた人々が移住してきたが、寒冷化とともに稲作最前線が南下すると、北海道と北東北の関係は再び強まり、続縄文文化圏となった。東北地方のアイヌ語地名と思われる土地の呼び名は、この当時以前の名残りとしか考えられないので、だとすると北海道の続縄文文化の担い手もアイヌ語のような言葉を話す人々であったと考えても不自然ではないのではないか。</p>
<p>蝦夷の歴史を通して、続縄文からアイヌ文化期に至る北海道の歴史を考えると、札幌大学の本田文化学部長が提起されているように、「アイヌ文化期」という名称には疑問を投げかけざるを得ない。縄文、続縄文、擦文と「道具」を指標として時代を区分しながら、それ以降について「アイヌ」という民族名を冠した名称を用いるのは一貫性がなく、「鉄鍋文化」とでも呼ぶのがふさわしいのではないか。一方、民族に着目するならば、エミシの歴史に見るように、戦いと交易が盛んに行われたアイヌ民族の「英雄時代」の始まりは、１３世紀や１４世紀より相当遡ってしかるべきだろう。</p>
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		<item>
		<title>詩劇 「縄文」未来からの声〜縄文の郷サッポロからの発信〜</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/368</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/368#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 03:09:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://jomon-heritage.org/blog/?p=368</guid>
		<description><![CDATA[札幌の各分野のアーティストが結集！
自然との共生をもとに、自由で平和な生活を守り抜いた私たちの祖先が、縄文人です。太鼓をたたき、琴を弾き、笛を吹き、歌い踊り、衣装を楽しみ、野の花々を愛した古代人の縄文芸術を80人近くのスタッフとキャストで舞台芸術化。知られざる縄文芸術を、詩や音楽、舞踊、能、生花、衣装…様々な技法で創造します。縄文太鼓や縄文琴の復元演奏も見どころです。
●とき：2010年7月22日 (木)　
 ●開場／18:30　開演／19:00　終演（予定）／20:10 
 ●ところ：札幌市教育文化会館　大ホール 
 ●入場料：前売り4,000円 　当日4,500円
●お問い合わせ・チケットのお申し込み：
 北の縄文文化を発信する会事務局（シィービーツアーズ） 
 電話　011-221-0912
混迷の21世紀で苦悩する女主人公「ラー」が、古代から響いてくる縄文母神の声に誘われ、魂の原郷としての縄文芸術にめざめてゆく物語です。 原子修・作、芸術監督。小泉しづか（ダンス）、茂呂剛伸（太鼓）、曽山良一（琴）ら出演。これからの私たちの生き方の指標ともいえる縄文精神の一端を感じる幻想的な舞台をお楽しみに！
■詳細はこちらから　http://www.jomon-art.net/ 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h4><a href="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/07/jomon_20100722.jpg"><img class="alignright size-thumbnail wp-image-369" title="詩劇 「縄文」未来からの声" src="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/07/jomon_20100722-141x200.jpg" alt="詩劇 「縄文」未来からの声" width="141" height="200" /></a>札幌の各分野のアーティストが結集！</h4>
<p>自然との共生をもとに、自由で平和な生活を守り抜いた私たちの祖先が、縄文人です。太鼓をたたき、琴を弾き、笛を吹き、歌い踊り、衣装を楽しみ、野の花々を愛した古代人の縄文芸術を80人近くのスタッフとキャストで舞台芸術化。知られざる縄文芸術を、詩や音楽、舞踊、能、生花、衣装…様々な技法で創造します。縄文太鼓や縄文琴の復元演奏も見どころです。</p>
<p>●とき：2010年7月22日 (木)　<br />
 ●開場／18:30　開演／19:00　終演（予定）／20:10 <br />
 ●ところ：札幌市教育文化会館　大ホール <br />
 ●入場料：前売り4,000円 　当日4,500円</p>
<p>●お問い合わせ・チケットのお申し込み：<br />
 <strong>北の縄文文化を発信する会事務局</strong>（シィービーツアーズ） <br />
 電話　011-221-0912</p>
<p>混迷の21世紀で苦悩する女主人公「ラー」が、古代から響いてくる縄文母神の声に誘われ、魂の原郷としての縄文芸術にめざめてゆく物語です。 原子修・作、芸術監督。小泉しづか（ダンス）、茂呂剛伸（太鼓）、曽山良一（琴）ら出演。これからの私たちの生き方の指標ともいえる縄文精神の一端を感じる幻想的な舞台をお楽しみに！</p>
<p>■詳細はこちらから　<a href="http://www.jomon-art.net/ " target="_blank">http://www.jomon-art.net/ </a></p>
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		<item>
		<title>草舞弦（そうぶげん）ライブコンサートのお知らせ</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/365</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/365#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Jun 2010 03:43:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

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		<description><![CDATA[昨年の総会にも登場し、北の縄文を発信する会でもおなじみの草舞弦（そうぶげん）のライブコンサートのお知らせです。
と　き：2010年7月3日（土）15：00〜16：30（予約をした方が確実です！）
ところ：ファインアート器野
恵庭市林田200電話0123-36-5511
http://comebody.com/omise/galley/index.html
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昨年の総会にも登場し、北の縄文を発信する会でもおなじみの草舞弦（そうぶげん）のライブコンサートのお知らせです。</p>
<p>と　き：2010年7月3日（土）15：00〜16：30（予約をした方が確実です！）<br />
ところ：ファインアート器野<br />
恵庭市林田200電話0123-36-5511<br />
<a href="http://comebody.com/omise/galley/index.html">http://comebody.com/omise/galley/index.html</a></p>
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		<title>シンポジウム開催のお知らせ</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/360</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/360#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Jun 2010 08:39:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://jomon-heritage.org/blog/?p=360</guid>
		<description><![CDATA[拝啓　初夏の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は北海道大学公共政策大学院の研究と活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。
 さて、本年10月の名古屋におけるCOP10（生物多様性条約第10回締約国会議）の開催を控え、このたび、北大公共政策大学院と北海道環境財団では、シンポジウムを共催することになりました。環境保全や野生生物保護についての関心が高まっている今、北方圏における環境と文明を基盤に置いた北海道の環境保全政策を議論いたしますので是非ご参加ください。
敬具
シンポジウムポスターのダウンロードはこちら
＜概要＞
 ■とき：6月26日（土）14時～17時
 ■ところ：北海道大学人文社会科学総合教育棟W203    入場無料
 ■テーマ「北方の文化と環境再生、生物多様性～北海道の環境政策～」
 ■内容
第１部・基調講演

「北方圏の環境と文明」
 安田喜憲氏（国際日本文化研究センター教授）
「生物多様性の保全をめぐる国際的動向と日本の取り組み」
 黒田大三郎氏（環境省参与）

第２部・パネルディスカッション
パネリスト

 安田喜憲氏 
 黒田大三郎氏
大島直行氏（伊達市噴火湾文化研究所長）
 五十嵐智嘉子（北海道総合研究調査会専務理事）

コーディネーター    深見正仁（北海道大学公共政策大学院教授）
お問い合わせ＝公共政策大学院秘書室（TEL 011-706-4716）
 北大公共政策大学院ホームページ　http://hops.hokudai.ac.jp
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>拝啓　初夏の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は北海道大学公共政策大学院の研究と活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。<br />
 さて、本年10月の名古屋におけるCOP10（生物多様性条約第10回締約国会議）の開催を控え、このたび、北大公共政策大学院と北海道環境財団では、シンポジウムを共催することになりました。環境保全や野生生物保護についての関心が高まっている今、北方圏における環境と文明を基盤に置いた北海道の環境保全政策を議論いたしますので是非ご参加ください。</p>
<p style="text-align: right;">敬具</p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/06/sympo20100626.pdf">シンポジウムポスターのダウンロードはこちら</a></p>
<p>＜概要＞<br />
 ■とき：6月26日（土）14時～17時<br />
 ■ところ：北海道大学人文社会科学総合教育棟W203    入場無料<br />
 ■テーマ「北方の文化と環境再生、生物多様性～北海道の環境政策～」<br />
 ■内容</p>
<h4>第１部・基調講演</h4>
<ul>
<li>「北方圏の環境と文明」<br />
 安田喜憲氏（国際日本文化研究センター教授）</li>
<li>「生物多様性の保全をめぐる国際的動向と日本の取り組み」<br />
 黒田大三郎氏（環境省参与）</li>
</ul>
<h4>第２部・パネルディスカッション</h4>
<p>パネリスト</p>
<ul>
<li> 安田喜憲氏 </li>
<li> 黒田大三郎氏</li>
<li>大島直行氏（伊達市噴火湾文化研究所長）</li>
<li> 五十嵐智嘉子（北海道総合研究調査会専務理事）</li>
</ul>
<p>コーディネーター    深見正仁（北海道大学公共政策大学院教授）</p>
<p>お問い合わせ＝公共政策大学院秘書室（TEL 011-706-4716）<br />
 北大公共政策大学院ホームページ　<a href="http://hops.hokudai.ac.jp" target="_blank">http://hops.hokudai.ac.jp</a></p>
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		<item>
		<title>「縄文」を知的観光資源に</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/kouza/347</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/kouza/347#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 14 May 2010 13:45:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[北の縄文講座]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://jomon-heritage.org/blog/?p=347</guid>
		<description><![CDATA[大島直行・伊達市噴火湾文化研究所長
縄文文化が「ブーム」と呼ばれるほどに騒がれて久しい。火付け役はあの青森県の三内丸山遺跡だった。
 新たな発見が連日マスコミに取りあげられ、「教科書を書き換える」の文字が幾度となく新聞紙面を飾った。これをきっかけに縄文への関心が全国的に高まり、気が付けば縄文ブームになっていた。
それから18年。三内丸山遺跡は国の特別史跡となり、文化庁が世界文化遺産の国内暫定リストに載せた「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の15カ所の縄文遺跡の一つとなった。北海道からは伊達市の北黄金貝塚など４カ所の遺跡も選ばれた。
 私は今、北黄金貝塚を拠点に、世界遺産の登録実現と知的観光資源化という高い理念で活動している。それは、縄文文化の価値が高い精神性にあることに気付いたことで生まれた発想である。
 縄文人が一万年もの間、狩猟採集社会を継続したのは、自然を開拓する技術がなかったからではない。あえて開拓しないという強い意志があったからに違いないと。
 さらに、北海道の縄文文化が本州に比べて重要な点は、その高い精神性が続縄文文化、アイヌ文化へと受け継がれたことにある。北海道に弥生文化はない。アイヌ民族の先住性は、人類学的だけでなく考古学的にも証明できるゆえんである。
 こうしたメッセージを伝えるため、北黄金貝塚情報センターでは毎月末、「ロビー講座」を開いてきた。01年のオープン以来、70回近くを数えた。徹底して縄文文化の本質にこだわり、情報の質の高さに腐心している。小中学生の体験学習は年間１万人を超える。これも縄文文化の本質にこだわったゆえの数字だ。
 史跡公園としての整備も続けている。この間の取り組みで見えてきたのは、安易な復元に頼ったテーマパーク化を避け、縄文文化の本質を伝える工夫に徹底した判断の正しさだ。史跡は、ややもすると観光資源化を焦るばかりに、その本質を忘れた陳腐なテーマパークになりがちになる。物珍しさで人は一時集まるが、すぐ飽きられる。
 かつて「観光王国」の名を欲しいままにした北海道にも、陰りが見えてきた。雄大な自然とおいしい食べ物だけでは人は来なくなった。時代の流れは、「観る」から「学ぶ」観光へと変わったからだ。
 高い精神性に包まれた縄文文化とそれを引き継いだアイヌ文化は，まさに北海道の隠れた魅力だ。知的観光資源としての潜在能力は計り知れない。情報発信力にさらに磨きをかけ、新たな縄文ブームを興したいものだ。
【経歴】
 おおしま・なおゆき　１９５０年、北海道標茶町出身。札幌医科大助手を経て95年に伊達市教委入り。05年から現職。日本考古学協会理事。
【メモ】
 ■北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群
 三内丸山遺跡（青森県）や大湯環状列石（秋田県）など、北海道４カ所▽青森県８カ所▽秋田県２カ所▽岩手県１カ所ーーの15カ所の縄文遺跡で構成。世界文化遺産候補として、ユネスコ（国連教育文化機関）世界遺産センターの暫定一覧表に09年１月、記載された。約１万年続いた縄文文化は温暖湿潤な気候の下で、人間が自然と共生しながら築き上げた。ユーラシア大陸の農耕・牧畜を中心とした文化に比べ、狩猟・採集・漁労を中心とした文化は世界的にも例がない。４道県と12市町村の推進本部が昨年設置され、登録を目指している。
（2010年5月4日毎日新聞「地方発」に掲載されたものです。）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">大島直行・伊達市噴火湾文化研究所長</p>
<p>縄文文化が「ブーム」と呼ばれるほどに騒がれて久しい。火付け役はあの青森県の三内丸山遺跡だった。<br />
 新たな発見が連日マスコミに取りあげられ、「教科書を書き換える」の文字が幾度となく新聞紙面を飾った。これをきっかけに縄文への関心が全国的に高まり、気が付けば縄文ブームになっていた。</p>
<p>それから18年。三内丸山遺跡は国の特別史跡となり、文化庁が世界文化遺産の国内暫定リストに載せた「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の15カ所の縄文遺跡の一つとなった。北海道からは伊達市の北黄金貝塚など４カ所の遺跡も選ばれた。<br />
<span id="more-347"></span> 私は今、北黄金貝塚を拠点に、世界遺産の登録実現と知的観光資源化という高い理念で活動している。それは、縄文文化の価値が高い精神性にあることに気付いたことで生まれた発想である。<br />
 縄文人が一万年もの間、狩猟採集社会を継続したのは、自然を開拓する技術がなかったからではない。あえて開拓しないという強い意志があったからに違いないと。<br />
 さらに、北海道の縄文文化が本州に比べて重要な点は、その高い精神性が続縄文文化、アイヌ文化へと受け継がれたことにある。北海道に弥生文化はない。アイヌ民族の先住性は、人類学的だけでなく考古学的にも証明できるゆえんである。<br />
 こうしたメッセージを伝えるため、北黄金貝塚情報センターでは毎月末、「ロビー講座」を開いてきた。01年のオープン以来、70回近くを数えた。徹底して縄文文化の本質にこだわり、情報の質の高さに腐心している。小中学生の体験学習は年間１万人を超える。これも縄文文化の本質にこだわったゆえの数字だ。<br />
 史跡公園としての整備も続けている。この間の取り組みで見えてきたのは、安易な復元に頼ったテーマパーク化を避け、縄文文化の本質を伝える工夫に徹底した判断の正しさだ。史跡は、ややもすると観光資源化を焦るばかりに、その本質を忘れた陳腐なテーマパークになりがちになる。物珍しさで人は一時集まるが、すぐ飽きられる。<br />
 かつて「観光王国」の名を欲しいままにした北海道にも、陰りが見えてきた。雄大な自然とおいしい食べ物だけでは人は来なくなった。時代の流れは、「観る」から「学ぶ」観光へと変わったからだ。<br />
 高い精神性に包まれた縄文文化とそれを引き継いだアイヌ文化は，まさに北海道の隠れた魅力だ。知的観光資源としての潜在能力は計り知れない。情報発信力にさらに磨きをかけ、新たな縄文ブームを興したいものだ。</p>
<p>【経歴】<br />
 おおしま・なおゆき　１９５０年、北海道標茶町出身。札幌医科大助手を経て95年に伊達市教委入り。05年から現職。日本考古学協会理事。</p>
<p>【メモ】<br />
 ■北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群<br />
 三内丸山遺跡（青森県）や大湯環状列石（秋田県）など、北海道４カ所▽青森県８カ所▽秋田県２カ所▽岩手県１カ所ーーの15カ所の縄文遺跡で構成。世界文化遺産候補として、ユネスコ（国連教育文化機関）世界遺産センターの暫定一覧表に09年１月、記載された。約１万年続いた縄文文化は温暖湿潤な気候の下で、人間が自然と共生しながら築き上げた。ユーラシア大陸の農耕・牧畜を中心とした文化に比べ、狩猟・採集・漁労を中心とした文化は世界的にも例がない。４道県と12市町村の推進本部が昨年設置され、登録を目指している。</p>
<p>（2010年5月4日毎日新聞「地方発」に掲載されたものです。）</p>
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		</item>
		<item>
		<title>縄文人に学ぶ健康ライフ　メタボを防ぐ生活の知恵（5）</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/356</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/356#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 Apr 2010 08:33:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://jomon-heritage.org/blog/?p=356</guid>
		<description><![CDATA[対談・北の縄文
藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。
第1回「糖尿病、メタボについて」はこ ちら
第2回「高血圧について」はこちら
第3回「ガンについて」はこちら
第4回「ストレスについて」はこちら
ジェラシーの制御について
（大島）
 地球環境問題をはじめ現代社会が抱える様々な問題は、人間の欲望を解放してしまったことに大きな原因があり、その根底には「ジェラシー」があると考えています。
 例えば、縄文時代の「ジェラシー」を考える上で参考になるのは、アフリカなどの現代の狩猟社会です。彼らの社会でもっとも重要な問題の一つが、いかに嫉妬心を解消するかということだそうです。嫉妬心は、集団の和を乱す大きな原因となるからですが、実は、問題はそれだけに止まりません。単に個人レベルの恋愛の問題だけでもありません。
 彼らがもっとも恐れているのは、狩猟に際して、人より大きな、またたくさんの動物を捕ったりしたことに嫉妬して、さらに必要もない多くの動物を捕ってしまう危険性をはらんでいるということです。ですから、彼らは、そうした嫉妬心を抑制するための文化装置をいろいろ考え出しているということです。
 １万年以上続いた縄文文化にも、おそらく、こうしたジェラシー、嫉妬心をコントロールするための何かがあったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
（藤宮）
 縄文人にも身体的、能力的な違いがあり、人に対する嫉妬心もあったのではないかと思います。現代でも縄文時代でも人間の精神構造は同じであり、今も昔もジェラシーはなくならないと思います。
 ただし、縄文時代には我々の存在を超越した「絶対者」が存在しました。この絶対者の下にこの世の摂理があり、その中で自分も他者も生きている、生かされていると考えることで、ジェラシーも緩和されたのではないでしょうか。
 自分と他人が直接的にかかわる所にジェラシーが生まれるとすると、「絶対者」の下で自分も他人も同等に生かされていると考えれば、お互いにいがみ合う必要など無くなるのではないかと考えます。

北海道、縄文へのメッセージ
（大島）
 現代の日本人は、縄文人タイプと弥生人タイプに分かれると言われ、私は「縄文顔」です。藤宮先生は典型的な「弥生人」のようですが、先生から北海道、縄文に対してメッセージをお願いします。
（藤宮）
 私は奈良県の葛城山の麓に生まれまして、今もこのように関西弁をしゃべっています。１年半前に札幌医科大学に赴任してきましたが、北海道の人が本当に親切で優しいことに驚きを覚え、北海道が大好きになりました。これはかつて留学したカナダも同じで、自然環境が厳しいということも共通しています。自然環境が厳しい方が人間は優しくなるのかも知れません。
 縄文人も弥生人も特性は遺伝子に刻まれていて、それ以降の時代でも、奈良時代は「外向きでおおらか」、平安時代は「内向き」といった時代の特徴があるのではないかと思います。一方、縄文とアイヌの人々は、先ほど述べた「絶対者」に対する「外向き」の姿勢があると思います。
 私は、そういう特性を持つ縄文文化を世界遺産へ、という活動を行っておられる「北の縄文文化を発信する会」が、今後必要とされる「我々日本人の生き方」をも提唱していく会であっていただきたいと期待しています。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h4>対談・北の縄文</h4>
<p>藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。</p>
<p><a href="../event/320">第1回「糖尿病、メタボについて」はこ ちら</a></p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/336">第2回「高血圧について」はこちら</a></p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/351">第3回「ガンについて」はこちら</a></p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/353">第4回「ストレスについて」はこちら</a></p>
<h4>ジェラシーの制御について</h4>
<p>（大島）<br />
 地球環境問題をはじめ現代社会が抱える様々な問題は、人間の欲望を解放してしまったことに大きな原因があり、その根底には「ジェラシー」があると考えています。<br />
 例えば、縄文時代の「ジェラシー」を考える上で参考になるのは、アフリカなどの現代の狩猟社会です。彼らの社会でもっとも重要な問題の一つが、いかに嫉妬心を解消するかということだそうです。嫉妬心は、集団の和を乱す大きな原因となるからですが、実は、問題はそれだけに止まりません。単に個人レベルの恋愛の問題だけでもありません。<br />
 彼らがもっとも恐れているのは、狩猟に際して、人より大きな、またたくさんの動物を捕ったりしたことに嫉妬して、さらに必要もない多くの動物を捕ってしまう危険性をはらんでいるということです。ですから、彼らは、そうした嫉妬心を抑制するための文化装置をいろいろ考え出しているということです。<br />
 １万年以上続いた縄文文化にも、おそらく、こうしたジェラシー、嫉妬心をコントロールするための何かがあったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。</p>
<p>（藤宮）<br />
 縄文人にも身体的、能力的な違いがあり、人に対する嫉妬心もあったのではないかと思います。現代でも縄文時代でも人間の精神構造は同じであり、今も昔もジェラシーはなくならないと思います。<br />
 ただし、縄文時代には我々の存在を超越した「絶対者」が存在しました。この絶対者の下にこの世の摂理があり、その中で自分も他者も生きている、生かされていると考えることで、ジェラシーも緩和されたのではないでしょうか。<br />
 自分と他人が直接的にかかわる所にジェラシーが生まれるとすると、「絶対者」の下で自分も他人も同等に生かされていると考えれば、お互いにいがみ合う必要など無くなるのではないかと考えます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h4>北海道、縄文へのメッセージ</h4>
<p>（大島）<br />
 現代の日本人は、縄文人タイプと弥生人タイプに分かれると言われ、私は「縄文顔」です。藤宮先生は典型的な「弥生人」のようですが、先生から北海道、縄文に対してメッセージをお願いします。</p>
<p>（藤宮）<br />
 私は奈良県の葛城山の麓に生まれまして、今もこのように関西弁をしゃべっています。１年半前に札幌医科大学に赴任してきましたが、北海道の人が本当に親切で優しいことに驚きを覚え、北海道が大好きになりました。これはかつて留学したカナダも同じで、自然環境が厳しいということも共通しています。自然環境が厳しい方が人間は優しくなるのかも知れません。<br />
 縄文人も弥生人も特性は遺伝子に刻まれていて、それ以降の時代でも、奈良時代は「外向きでおおらか」、平安時代は「内向き」といった時代の特徴があるのではないかと思います。一方、縄文とアイヌの人々は、先ほど述べた「絶対者」に対する「外向き」の姿勢があると思います。<br />
 私は、そういう特性を持つ縄文文化を世界遺産へ、という活動を行っておられる「北の縄文文化を発信する会」が、今後必要とされる「我々日本人の生き方」をも提唱していく会であっていただきたいと期待しています。</p>
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		<item>
		<title>縄文人に学ぶ健康ライフ　メタボを防ぐ生活の知恵（4）</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/353</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/353#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 05 Apr 2010 08:27:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

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		<description><![CDATA[対談・北の縄文
藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。
第1回「糖尿病、メタボについて」はこ ちら
第2回「高血圧について」はこちら
第3回「ガンについて」はこちら
ストレスについて
（大島）
現代に蔓延しつつあるのはストレス病です。うつ、躁うつ的な病気が随分と増え、３万人もの自殺者を出すような環境にある。そんなものが果たして縄文時代にあったかのかということを先生にお聞きしたいと思います。
 これまでのお話で、縄文人には少なくとも私のような高血圧、糖尿病予備軍、メタボという人間はいなかったのだろうと思います。ただ、縄文社会というのは病気もないから非常によい時代だと思われるかもしれませんが、私は、縄文社会が高い精神性を維持するためには、それなりの文化装置を持ちながら暮らしていたのではないか、私たちとは違った面での精神的なストレスがあったのではないかと考えています。
 例えば、縄文土器について、数千年に亘って津軽海峡を越えて青森と函館、伊達が全く同じ形、文様を作り続けるということは、どう考えても相当な精神的ストレスをかけていたのではないか、そうでなければあのような現象は起こらなかったのではないかと思うのです。そういう面のストレスは人間に対してどのような影響を及ぼしていくものでしょうか。
（藤宮）
全くストレスがなければよいという問題ではなく、ストレスがないことがまたストレスであるというくらい、人間にはある程度の刺激、つまり適度なストレスがあることも大切なのです。
適度のストレスは、我々が次に向かう意欲につながるものです。しかし過度のストレスが溜まったときは、どこかで一気に発散させないと体に悪影響を及ぼします。縄文人がどうしてあまり病気もなく豊かに暮らせたのかと考えますと、溜まったストレスを発散させることができたからであり、私は、「祭り」がストレス発散の装置になっていたのではないかと思うのです。
先ほどの楽器演奏のように、楽器の演奏者も楽しい、それを聞いた人も心の底から喜びを感じ、体を動かし歌って踊る。この三拍子揃ったのが「祭り」、「フェスティバル」です。これは人間の歴史と同時にあったもので、これが実はストレスを緩和するものであったと思います。
「祭り」は、恐らくアイヌの方もそうだと思いますが、宗教的な意味合いが強く、信仰を抜きにしてはあり得ないことです。これは古代人であろうがキリスト教、仏教、神道など全てにおいて言えることですが、神仏に対して感謝の意を捧げるとか、あるいは神様に畏敬の念を抱く、生かされていることに感謝する、ということが「祭り」となって現れているのではないかと思います。
ストレスが強度にかかってくると、それによって　交感神経・副交感神経のバランスや全身のホルモンが異常になって、ガンや糖尿病などの合併症を起こさせることになる。こうした状況はあるところでリセットをかけることが必要であり、「精神的な歓び」がそのリセットの役目を果たします。
アイヌの人たちが仲間たちと共に神々に感謝し、同じことについて喜びを分かち合う、これこそが病気を防ぐホルモンや神経系を良く保つ鍵になっているのではないかと思います。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h4>対談・北の縄文</h4>
<p>藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。</p>
<p><a href="../event/320">第1回「糖尿病、メタボについて」はこ ちら</a></p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/336">第2回「高血圧について」はこちら</a></p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/351">第3回「ガンについて」はこちら</a></p>
<h4>ストレスについて</h4>
<p>（大島）<br />
現代に蔓延しつつあるのはストレス病です。うつ、躁うつ的な病気が随分と増え、３万人もの自殺者を出すような環境にある。そんなものが果たして縄文時代にあったかのかということを先生にお聞きしたいと思います。<br />
 これまでのお話で、縄文人には少なくとも私のような高血圧、糖尿病予備軍、メタボという人間はいなかったのだろうと思います。ただ、縄文社会というのは病気もないから非常によい時代だと思われるかもしれませんが、私は、縄文社会が高い精神性を維持するためには、それなりの文化装置を持ちながら暮らしていたのではないか、私たちとは違った面での精神的なストレスがあったのではないかと考えています。<br />
 例えば、縄文土器について、数千年に亘って津軽海峡を越えて青森と函館、伊達が全く同じ形、文様を作り続けるということは、どう考えても相当な精神的ストレスをかけていたのではないか、そうでなければあのような現象は起こらなかったのではないかと思うのです。そういう面のストレスは人間に対してどのような影響を及ぼしていくものでしょうか。</p>
<p>（藤宮）<br />
全くストレスがなければよいという問題ではなく、ストレスがないことがまたストレスであるというくらい、人間にはある程度の刺激、つまり適度なストレスがあることも大切なのです。<br />
適度のストレスは、我々が次に向かう意欲につながるものです。しかし過度のストレスが溜まったときは、どこかで一気に発散させないと体に悪影響を及ぼします。縄文人がどうしてあまり病気もなく豊かに暮らせたのかと考えますと、溜まったストレスを発散させることができたからであり、私は、「祭り」がストレス発散の装置になっていたのではないかと思うのです。<br />
先ほどの楽器演奏のように、楽器の演奏者も楽しい、それを聞いた人も心の底から喜びを感じ、体を動かし歌って踊る。この三拍子揃ったのが「祭り」、「フェスティバル」です。これは人間の歴史と同時にあったもので、これが実はストレスを緩和するものであったと思います。<br />
「祭り」は、恐らくアイヌの方もそうだと思いますが、宗教的な意味合いが強く、信仰を抜きにしてはあり得ないことです。これは古代人であろうがキリスト教、仏教、神道など全てにおいて言えることですが、神仏に対して感謝の意を捧げるとか、あるいは神様に畏敬の念を抱く、生かされていることに感謝する、ということが「祭り」となって現れているのではないかと思います。<br />
ストレスが強度にかかってくると、それによって　交感神経・副交感神経のバランスや全身のホルモンが異常になって、ガンや糖尿病などの合併症を起こさせることになる。こうした状況はあるところでリセットをかけることが必要であり、「精神的な歓び」がそのリセットの役目を果たします。<br />
アイヌの人たちが仲間たちと共に神々に感謝し、同じことについて喜びを分かち合う、これこそが病気を防ぐホルモンや神経系を良く保つ鍵になっているのではないかと思います。</p>
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		<title>縄文人に学ぶ健康ライフ　メタボを防ぐ生活の知恵（3）</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/351</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/351#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 23 Mar 2010 08:23:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

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		<description><![CDATA[対談・北の縄文
藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。
第1回「糖尿病、メタボについて」はこちら
第2回「高血圧について」はこちら
ガンについて
（大島）
 東京都老人研究所の鈴木隆雄先生は、札医大出身で卒業後医者にならずに人類学者になった最初の方で、ガンや、彼が得意とする結核が何時から日本列島に起こったかということを、骨から研究をして、20年間かけて日本の古病理学をまとめました。
（藤宮）
 ガンが縄文人にあったかどうかですが、ガンは人間の寿命が延びたことで細胞に異常が起こって発症する病気です。ガン細胞が出来てそれが成長するまでに時間がかかるわけですから、寿命が４０歳から５０歳で終わってしまう人たちは基本的にはガンは極めて少ないと思います。ただし、子供でも起こるガン、特に骨肉腫は古代でもあったと思います。骨に起こるガンは、古人骨の中を見れば分かると思います。
（大島）
 鈴木先生の研究によればガンは縄文時代からあったことが分かっています。しかし、あくまでも骨でしか分からないので、骨に発症しない胃ガンとか肺ガンについて縄文時代の人たちがどうだったのかは分からないわけですね。
（藤宮）
 骨だけを見てその疾患部を予想するのはかなり無理があると思います。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h4>対談・北の縄文</h4>
<p>藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。</p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/320">第1回「糖尿病、メタボについて」はこちら</a></p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/336">第2回「高血圧について」はこちら</a></p>
<h4>ガンについて</h4>
<p>（大島）<br />
 東京都老人研究所の鈴木隆雄先生は、札医大出身で卒業後医者にならずに人類学者になった最初の方で、ガンや、彼が得意とする結核が何時から日本列島に起こったかということを、骨から研究をして、20年間かけて日本の古病理学をまとめました。</p>
<p>（藤宮）<br />
 ガンが縄文人にあったかどうかですが、ガンは人間の寿命が延びたことで細胞に異常が起こって発症する病気です。ガン細胞が出来てそれが成長するまでに時間がかかるわけですから、寿命が４０歳から５０歳で終わってしまう人たちは基本的にはガンは極めて少ないと思います。ただし、子供でも起こるガン、特に骨肉腫は古代でもあったと思います。骨に起こるガンは、古人骨の中を見れば分かると思います。</p>
<p>（大島）<br />
 鈴木先生の研究によればガンは縄文時代からあったことが分かっています。しかし、あくまでも骨でしか分からないので、骨に発症しない胃ガンとか肺ガンについて縄文時代の人たちがどうだったのかは分からないわけですね。</p>
<p>（藤宮）<br />
 骨だけを見てその疾患部を予想するのはかなり無理があると思います。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>北海道縄文のまち連絡会PR講演会のお知らせ</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/340</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/340#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 15 Mar 2010 09:23:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>jomon</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://jomon-heritage.org/blog/?p=340</guid>
		<description><![CDATA[３月２８日（日）に札幌市で北海道縄文のまち連絡会PR講演会が開催されます。「わが街の縄文遺跡と地域の未来」をテーマに会発足の趣旨
説明や長野県長和町「黒曜石体験ミュージアム」大竹幸恵氏の講演などが行われます。
●日時
平成２２年３月２８日（日）１５～１７時
●会場
チサンホテル札幌（札幌市中央区北２西２－９）２階「ましゅう」  ＜入場無料＞
■パンフレットはこちらから
　　→　http://www.funkawan.net/100308.pdf

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_344" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><a href="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/03/1003081.jpg"><img class="size-full wp-image-344" src="http://jomon-heritage.org/blog/wp-content/uploads/2010/03/1003081.jpg" alt="講演会パンフレット" width="200" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">講演会パンフレット</p></div>
<p>３月２８日（日）に札幌市で北海道縄文のまち連絡会PR講演会が開催されます。「わが街の縄文遺跡と地域の未来」をテーマに会発足の趣旨<br />
説明や長野県長和町「黒曜石体験ミュージアム」大竹幸恵氏の講演などが行われます。<br />
●日時<br />
平成２２年３月２８日（日）１５～１７時<br />
●会場<br />
チサンホテル札幌（札幌市中央区北２西２－９）２階「ましゅう」  ＜入場無料＞</p>
<p>■パンフレットはこちらから<br />
　　→　<a href="http://www.funkawan.net/100308.pdf">http://www.funkawan.net/100308.pdf</a></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>縄文人に学ぶ健康ライフ　メタボを防ぐ生活の知恵（2）</title>
		<link>http://jomon-heritage.org/blog/event/336</link>
		<comments>http://jomon-heritage.org/blog/event/336#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Mar 2010 03:32:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イベント情報]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://jomon-heritage.org/blog/?p=336</guid>
		<description><![CDATA[対談・北の縄文
藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。
第一回「糖尿病、メタボについて」はこちら
高血圧について
（大島）
 パプアニューギニアのギデラ族は世界で最も塩の摂取量の少ない民族であると言われています。人間は生理的に１日０．６グラムくらいの塩分があれば生きていけるそうですが、彼らは自分の体の塩分が減ってくるとビラという木の葉を焼いて舐めるのだそうです。ビラの木の葉にナトリウムが含まれていることを経験的に知っているのです。
 しかしこのパプアニューギニアに、東大の研究者が1965年頃入って調査したときには１グラムに満たなかったのが、１０年経って行ったら３．５グラムほどに増えていた。それはオーストラリアから食卓塩が入ってきて、何にでも塩をかけて食べるようになったためだということです。
私も高血圧で１５年来薬を飲んでおりますが、高血圧はやはり塩分摂取量と関係しているのでしょうね。
 （藤宮）
 先ず塩分摂取量が第一です。ただし、高血圧というのは、実は、自律神経の疾患でもあるわけです。つまり、血管を収縮させる交感神経の作用ですので、ストレスが関係します。大島先生も、余り講演会が続いて次々ストレスを感じておられると精神的な緊張感が持続し、血圧にとっても良くないのです。
 （大島）
 高血圧などは、特に塩分の摂取量が高くなくても、ストレスが大きな引き金になる可能性があるということですか。
 （藤宮）
 そうですね。高血圧の理由としてもちろん塩分もありますが肥満もあります。例えば肥満の方は糖尿病や動脈硬化、また高血圧が合併することがあります。
 塩分には地域性があると思います。塩が手に入り易い環境にありますと、人間というのは出来るだけおいしく食べようとして、ちょっと塩を加えるなどの工夫を試みるものです。多分、高血圧というのはその民族の地域性というのもかなりあるのではないでしょうか。
 （大島）
 縄文時代のある一時期、関東、東北地方では製塩土器を作っていました。多分、今でいう漬物のように、塩漬けにした保存食を作るために塩を作ったのではないかとの説もあります。しかし、縄文人が恒常的に塩を作った痕跡はなく、いろんな民族例を見てもそうです。
 （藤宮）
 高血圧の方の食生活の指導で良く言うのは、塩分に対する嗜好がある方は酢を食べ物の中に混ぜることによって塩分に対する嗜好を随分と和らげられるということです。子供のときから家庭で濃い味に慣れ親しんだ人が、急に高血圧だからといって医者に塩分制限されると、本当に食事の楽しみをなくしてしまう。こういう人達にどうやって減塩指導をするかというと、出来るだけ料理の中に酢を使って塩分を減らしていくということです。人間の味覚は習慣的なものがあるのでちょっとした心掛けによって健康な生活が出来ます。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h4>対談・北の縄文</h4>
<p>藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。</p>
<p><a href="http://jomon-heritage.org/blog/event/320">第一回「糖尿病、メタボについて」はこちら</a></p>
<h4>高血圧について</h4>
<p>（大島）<br />
 パプアニューギニアのギデラ族は世界で最も塩の摂取量の少ない民族であると言われています。人間は生理的に１日０．６グラムくらいの塩分があれば生きていけるそうですが、彼らは自分の体の塩分が減ってくるとビラという木の葉を焼いて舐めるのだそうです。ビラの木の葉にナトリウムが含まれていることを経験的に知っているのです。<br />
 しかしこのパプアニューギニアに、東大の研究者が1965年頃入って調査したときには１グラムに満たなかったのが、１０年経って行ったら３．５グラムほどに増えていた。それはオーストラリアから食卓塩が入ってきて、何にでも塩をかけて食べるようになったためだということです。</p>
<p>私も高血圧で１５年来薬を飲んでおりますが、高血圧はやはり塩分摂取量と関係しているのでしょうね。<br />
<span id="more-336"></span> （藤宮）<br />
 先ず塩分摂取量が第一です。ただし、高血圧というのは、実は、自律神経の疾患でもあるわけです。つまり、血管を収縮させる交感神経の作用ですので、ストレスが関係します。大島先生も、余り講演会が続いて次々ストレスを感じておられると精神的な緊張感が持続し、血圧にとっても良くないのです。<br />
 （大島）<br />
 高血圧などは、特に塩分の摂取量が高くなくても、ストレスが大きな引き金になる可能性があるということですか。<br />
 （藤宮）<br />
 そうですね。高血圧の理由としてもちろん塩分もありますが肥満もあります。例えば肥満の方は糖尿病や動脈硬化、また高血圧が合併することがあります。<br />
 塩分には地域性があると思います。塩が手に入り易い環境にありますと、人間というのは出来るだけおいしく食べようとして、ちょっと塩を加えるなどの工夫を試みるものです。多分、高血圧というのはその民族の地域性というのもかなりあるのではないでしょうか。<br />
 （大島）<br />
 縄文時代のある一時期、関東、東北地方では製塩土器を作っていました。多分、今でいう漬物のように、塩漬けにした保存食を作るために塩を作ったのではないかとの説もあります。しかし、縄文人が恒常的に塩を作った痕跡はなく、いろんな民族例を見てもそうです。<br />
 （藤宮）<br />
 高血圧の方の食生活の指導で良く言うのは、塩分に対する嗜好がある方は酢を食べ物の中に混ぜることによって塩分に対する嗜好を随分と和らげられるということです。子供のときから家庭で濃い味に慣れ親しんだ人が、急に高血圧だからといって医者に塩分制限されると、本当に食事の楽しみをなくしてしまう。こういう人達にどうやって減塩指導をするかというと、出来るだけ料理の中に酢を使って塩分を減らしていくということです。人間の味覚は習慣的なものがあるのでちょっとした心掛けによって健康な生活が出来ます。</p>
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