対談・北の縄文
藤宮峯子さんと大島直行さん、お二人の対談を5回に分けて連載いたします。
ストレスについて
(大島)
現代に蔓延しつつあるのはストレス病です。うつ、躁うつ的な病気が随分と増え、3万人もの自殺者を出すような環境にある。そんなものが果たして縄文時代にあったかのかということを先生にお聞きしたいと思います。
これまでのお話で、縄文人には少なくとも私のような高血圧、糖尿病予備軍、メタボという人間はいなかったのだろうと思います。ただ、縄文社会というのは病気もないから非常によい時代だと思われるかもしれませんが、私は、縄文社会が高い精神性を維持するためには、それなりの文化装置を持ちながら暮らしていたのではないか、私たちとは違った面での精神的なストレスがあったのではないかと考えています。
例えば、縄文土器について、数千年に亘って津軽海峡を越えて青森と函館、伊達が全く同じ形、文様を作り続けるということは、どう考えても相当な精神的ストレスをかけていたのではないか、そうでなければあのような現象は起こらなかったのではないかと思うのです。そういう面のストレスは人間に対してどのような影響を及ぼしていくものでしょうか。
(藤宮)
全くストレスがなければよいという問題ではなく、ストレスがないことがまたストレスであるというくらい、人間にはある程度の刺激、つまり適度なストレスがあることも大切なのです。
適度のストレスは、我々が次に向かう意欲につながるものです。しかし過度のストレスが溜まったときは、どこかで一気に発散させないと体に悪影響を及ぼします。縄文人がどうしてあまり病気もなく豊かに暮らせたのかと考えますと、溜まったストレスを発散させることができたからであり、私は、「祭り」がストレス発散の装置になっていたのではないかと思うのです。
先ほどの楽器演奏のように、楽器の演奏者も楽しい、それを聞いた人も心の底から喜びを感じ、体を動かし歌って踊る。この三拍子揃ったのが「祭り」、「フェスティバル」です。これは人間の歴史と同時にあったもので、これが実はストレスを緩和するものであったと思います。
「祭り」は、恐らくアイヌの方もそうだと思いますが、宗教的な意味合いが強く、信仰を抜きにしてはあり得ないことです。これは古代人であろうがキリスト教、仏教、神道など全てにおいて言えることですが、神仏に対して感謝の意を捧げるとか、あるいは神様に畏敬の念を抱く、生かされていることに感謝する、ということが「祭り」となって現れているのではないかと思います。
ストレスが強度にかかってくると、それによって 交感神経・副交感神経のバランスや全身のホルモンが異常になって、ガンや糖尿病などの合併症を起こさせることになる。こうした状況はあるところでリセットをかけることが必要であり、「精神的な歓び」がそのリセットの役目を果たします。
アイヌの人たちが仲間たちと共に神々に感謝し、同じことについて喜びを分かち合う、これこそが病気を防ぐホルモンや神経系を良く保つ鍵になっているのではないかと思います。




