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気候変動とアイヌ文化の成立(2)

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

「アイヌ」という民族名を時代名に使うことについてもう少し考えてみたい。
「歴史」とは人類の行為の軌跡であるが、その舞台となった時間と空間は便宜的にさまざまな形で区分されている。これによっていつ頃のどこの地域の話であるかを、人びとは大枠で認識する事ができるのである。
時代区分は、大きくは文字すなわち記録文書のあるなしにより「先史時代」と「歴史時代」に二分される。「先史時代」は、おもに考古学的が活躍する分野で、その時代に使われていた道具によって古い順に「旧石器時代」、「新石器時代」、「青銅器時代」そして「鉄器時代」に細分されている。これは人類が獲得したテクノロジーの発展による区分である。一方「歴史時代」は、その時代を象徴する政治権力、すなわち王朝名や国名を使って細分するのが一般的である。古代エジプトの古王国・新王国、ギリシャのアテネ・スパルタ・マケドニアなどの都市国家、中国の殷・周・秦などの王朝がそれにあたる。
では日本列島の場合はどうか。明治以降の日本では、歴史学や考古学は欧米の学問体系を参考にしながら発展してきたので、時代区分の大枠は世界に倣っているが、それでも日本には特有の事情もあるので、すべてが世界と同じというわけにはいかない。

日本列島の先史時代は、今のところ3~4万年前の旧石器時代後期から始まるとみられる。それより古い旧石器時代の前期や中期については旧石器捏造事件発覚により幻と消えたが、昨秋に島根県で中期旧石器時代の石器が発見されたとの報道があった。地層の年代は中期旧石器時代にさかのぼる可能性があるが、ふたたび幻とならないよう石器そのものの着実な調査研究の進展を期待したい。それはさておき、日本で旧石器が発見された当初は、それらが本当に旧石器にあたるかどうか一部の研究者が疑問を示していた。そこで初期には「旧石器」の用語を使うことを控えながら、土器より古いという意味を込めて「無土器」とか「先土器」あるいは「先縄文」など呼んでいた。その後大陸と日本の石器文化の比較検討も進み、近ごろでは世界と同じレベルで「旧石器時代」の名称が広く使われるまでになってきた。これは、およそ50年の研究の蓄積によるものである。ちなみにこの時代は、気候的には寒冷な気候が地球を支配していた最後の氷河時代にあたる。

世界史的には旧石器時代の次は新石器時代になるのだが、日本では土器の名から「縄文時代」と呼ばれている。これは、新石器時代の特徴である①土器の使用と②定住集落そして③農耕の3要素のうち日本では③の農耕が欠けていることから新石器時代と呼ぶことをはばかったことによる。しかし、最近ではこれらの三要素は必ずしもスタンダードとなり得ないことがわかってきており、縄文のように農耕の欠落した石器文化も新石器に含めうるということである。また、後期以降の西日本では陸稲とみられる縄文の米や豆の証拠も発見されはじめており、そのような事情を勘案すると、私は「縄文時代」は日本列島的な「新石器時代」といって差しつかえないだろうと考えている。縄文時代の前半は、後氷期の温暖化の時代にあたり、5~6千年前ころの縄文前期にそのピークを迎える。しかし、4千200年前ころの縄文中期末に急激な寒冷現象が起き、道内では遺跡数が激減する。北海道がそのダメージから回復するのは3千年前ころの縄文晩期から後のようで、その後も小規模な温暖期と寒冷期をくり返すが、人びとのくらしに激変はなかったようである。

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