メッセージ・ボックス

<<一覧へ戻る

気候変動とアイヌ文化の成立(1)

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

8月26~29日に、札幌市と伊達市を会場に、北方圏センター・北海道環境財団・北海道などで構成される実行委員会が主催して第1回日本・スウェーデン科学者協会ワークショップ「北方圏の環境と文明」国際シンポジウムが開催された。26日には「北方圏の環境と文明」、29日には「地球温暖化で変貌する北極圏の環境」、「噴火湾の縄文遺跡」、「縄文が語る確かな未来」などの公開講演会も開かれたので、お聞きになった方も多いと思うが、初日に開かれた専門家向けのプログラムのなかで興味深い発表とディスカッションがあった。

その一つは国際日本文化研究センター安田喜憲先生ほかによる「地球温暖化の時代に北方圏の環境破壊は進行した」である。秋田県男鹿半島にある一の目潟の年縞堆積物(毎年くり返し湖底に溜まることによりバウムクーヘンのような縞模様をしめす粘土質の堆積物)に含まれる花粉分析の報告である。分析の結果、「西暦1100年にはスギの森が15分の1に減少し、稲の花粉が急増することから低地に生育していた杉の森が水田開発で大規模に破壊されたことをしめす。さらにそれより50年後の西暦1150年には、山地に生育するブナの森が10分の1にまで減少し、丘陵や山地の開発が進んだことが明らかとなった。この12世紀の大開墾はヨーロッパにおいても引き起こされ、東洋と西洋においてともに、中世温暖気北方圏の大開墾が進展したことが明らかとなった。」という。

この12世紀の前半とは、北海道では擦文文化が全道的に広まり、東北地方では藤原清衡が中尊寺を建立し、全国的には平清盛が覇権を獲得していく過程にあった。その時、出羽の北部では大規模な開墾が進展していたのだが、当然その影響は北海道にも及んでいたと見るべきであろう。

もう一つは、札幌大学本田優子先生の「近世アイヌ社会の様相と気候変動」である。発表によれば「アイヌの人びとはアクティヴな交易民だった。口承文芸には、交易が頻繁に登場し、そこでの描かれ方からも、交易を「善なるもの」とする価値観を読み取ることができる。しかし、16世紀末に成立した松前藩はアイヌの自由交易を禁じ、交易の場を松前城下に限定した。さらに17世紀半ばの商場知行制成立後は、アイヌの渡海交易は完全に途絶えた。」という。また、「このような状況下、アイヌ社会に致命的なダメージを与えたのが気候変動である。小氷期と呼ばれる13世紀以降の寒冷化の影響を受け、北海道における雑穀栽培の主流は、アワ・キビからヒエ・アワへと変化した。」という。

この2本の発表は、北海道の擦文文化からアイヌ文化への移行の問題と密接に関係しており重要である。最近の考古学では、擦文文化の終焉は13世紀、時間的な序列からみてアイヌ文化の成立は14世紀ころからかと考えられている。しかし、ディスカッションのなかで安田先生は、アイヌ文化の起源を寒冷期の疲弊した時代に求めるのではなく、中世温暖期、つまり北海道では擦文文化の時代に求めるべきでないかと発言された。それをうけて本田先生は、考古学の世界で使われている「アイヌ文化期」という時代区分について、「縄文文化を受け継いでいるといわれるアイヌの人びとが「アイヌ文化期」以前にはいなかったかのような誤解を与える」と苦言を呈された。

一応考古学の世界に身を置くものとして耳の痛い指摘であったが、このような指摘は実は初めてのことではない。「アイヌ」という民族名を時代名に使うことの落ち着きの悪さは私も感じていたが、なかなかそれに代わる適切な名称が見あたらないというのが実情である。ちょっと長くなりそうなので、これについては次回に書くことにしたい。

Trackback URL

コメントをどうぞ