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空想・北の縄文の風景(1)

投稿者:あらえみし

私たちが、天気や季節の変わり目などにふと空を見上げると、雲間から神々しい光が差し込んで地上を照らしたり、時には虹や彩雲が七色に輝いたりします。人工衛星からの映像を見慣れ、気象のメカニズムを理解している私たちでさえ、思わず手を合わせたくなるようなシーンがしばしばあるのですから、自然から糧を得たり災害から身を守るため、常に空や風の変化に感覚を研ぎ澄ましていた縄文人はそこに神々の意思や姿を見たのではないかと思います。

ところで、縄文人たちの見上げた空は今私たちが見ている空と同じような広がりをもっていたのでしょうか。
都会で林立するビルに切り取られた空でなかったことはもちろんですが、平地に市街地や農耕地が広がっている現在とは違い、集落をちょっと離れれば、鬱蒼と生い茂る巨木の森が広がっていたでしょう。

明治時代の帯広周辺の開拓を描いた吉田十四雄著「人間の土地」では、大森林を伐採し畑をつくる開拓を、木々に遮られて光の届かない地上から「天への穴をあける」と表現しています。また、今でも千歳川沿いの水田を掘り下げる人一人では抱えられないような巨木の切り株が出てくることもあるそうです。

そのような森林が明治時代まで残されていたのは、アイヌの人々が自然を守りながら生きてきたからであり、深い森が広がる北海道の風景は恐らくは縄文時代からそう大きく変わらなかったのではないかと思います。

それでは、縄文の人々が住居を建て集落を造ろうとした時、「天への穴をあける」こと、すなわち鬱蒼とした森林の伐採というような行為はあったのでしょうか?

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