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縄文人はどこへ行ったか?

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

1ヶ月前になりますが、今年の連続講座は9月11日の松村博文先生(札幌医科大学)のお話で無事に3回の予定を終了しました。春の大震災の影響もあり、今年の開催の行方はまったく予断を許さない状況でしたが、さまざまな困難を乗り越えて無事に終えることができました。まずはこのことを、講座にお出ましいただいた方々や事務局の皆さんとともに喜びたいと思います。
今回の松村先生の講演は、昨年につづき東南アジアを舞台とする壮大なスケールのお話でした。それは副題に「アジアにおける農耕民の大移動」とあるように、「大移動」がテーマです。いつもながら松村先生のお話には、ワクワクさせられました。
結論を先にいうと、新石器時代後半~初期金属器時代すなわち3,800~2,000年前に中国南部から農耕のセットを携えて大移動した人びとがオーストロアジア語族やオーストロネシア語族になったのではないかというものです。3000年前の日本列島への稲作や弥生人の渡来もこれと関連しそうであるが、日本列島へは北方アジア人的特徴をもつ集団の移動を伴ったとのことである。

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気候変動とアイヌ文化の成立(4)

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

擦文文化期の終わり、つまり北海道において土器文化の伝統が途絶えたのは近年の研究では13世紀ころとみられている。一般的な時代区分でいえば、この後を「アイヌ文化期」として表記することが多い。ただし、最初に書いたように「アイヌ」とは民族名である。民族の定義はとても難しいが、大まかには血縁関係、地域、言語や宗教など文化を共有する共同体ということができそうだが、細かい点ではいろいろな見解があり決定版はないが、最近では集団に対する個人の帰属意識によるという主観が究極の民族意識であるともいわれる。ところが、考古学では人の意識をそのまま把握することはできず、意識の産物としてのさまざまな物質的な形をとらえて文化を認識するのである。だから、考古学では弥生土器の後にも土師器が使われているにもかかわらず、大規模な墓の出現を基準にして「古墳時代」を設定しているのは、その背景に政治形態としての国家とその権力の成立を見とおしているのであり、古墳はそれを象徴する物質的な形として扱っているのでである。

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気候変動とアイヌ文化の成立(3)

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

縄文の次の「弥生時代」は、青銅や鉄などの金属器を使いはじめ、水稲農耕を行っていることから縄文より新しく、「金石併用時代」として位置づけられた。しかし、その時代名はやはり土器の名に由来する。ここまでは土器の名称を使った時代区分である。 >>続きを読む

気候変動とアイヌ文化の成立(2)

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

「アイヌ」という民族名を時代名に使うことについてもう少し考えてみたい。
「歴史」とは人類の行為の軌跡であるが、その舞台となった時間と空間は便宜的にさまざまな形で区分されている。これによっていつ頃のどこの地域の話であるかを、人びとは大枠で認識する事ができるのである。
時代区分は、大きくは文字すなわち記録文書のあるなしにより「先史時代」と「歴史時代」に二分される。「先史時代」は、おもに考古学的が活躍する分野で、その時代に使われていた道具によって古い順に「旧石器時代」、「新石器時代」、「青銅器時代」そして「鉄器時代」に細分されている。これは人類が獲得したテクノロジーの発展による区分である。一方「歴史時代」は、その時代を象徴する政治権力、すなわち王朝名や国名を使って細分するのが一般的である。古代エジプトの古王国・新王国、ギリシャのアテネ・スパルタ・マケドニアなどの都市国家、中国の殷・周・秦などの王朝がそれにあたる。
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気候変動とアイヌ文化の成立(1)

投稿者:(財)北海道埋蔵文化財センター 常務理事 畑 宏明

8月26~29日に、札幌市と伊達市を会場に、北方圏センター・北海道環境財団・北海道などで構成される実行委員会が主催して第1回日本・スウェーデン科学者協会ワークショップ「北方圏の環境と文明」国際シンポジウムが開催された。26日には「北方圏の環境と文明」、29日には「地球温暖化で変貌する北極圏の環境」、「噴火湾の縄文遺跡」、「縄文が語る確かな未来」などの公開講演会も開かれたので、お聞きになった方も多いと思うが、初日に開かれた専門家向けのプログラムのなかで興味深い発表とディスカッションがあった。

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空想・北の縄文の風景(1)

投稿者:あらえみし

私たちが、天気や季節の変わり目などにふと空を見上げると、雲間から神々しい光が差し込んで地上を照らしたり、時には虹や彩雲が七色に輝いたりします。人工衛星からの映像を見慣れ、気象のメカニズムを理解している私たちでさえ、思わず手を合わせたくなるようなシーンがしばしばあるのですから、自然から糧を得たり災害から身を守るため、常に空や風の変化に感覚を研ぎ澄ましていた縄文人はそこに神々の意思や姿を見たのではないかと思います。

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大英博物館「土偶展」に道内から4点が決定

ロンドンの大英博物館で9月から開かれる展覧会に「土偶」に国宝の中空土偶(函館市出土)が出品されることはすでにご存じと思いますが、67点の出品物が決定したとのニュースがありました。北海道からはそのほか、江別市の大麻3遺跡から出土した縄文晩期の土偶、千歳市のママチ遺跡の土面、美々4遺跡出土の動物形土製品と、いずれも本道ではよく知られた出土物です。

→北海道新聞掲載の記事です。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/170982_all.html