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古代蝦夷の英雄時代

古代えみし蝦夷の英雄時代

図書名:古代蝦夷(えみし)の英雄時代

著者:工藤雅樹

出版社:平凡社ライブラリー

発行:2005年

定価:1,300円+税

北海道は、明治開拓以前、本州側からは「えぞ蝦夷地」と呼ばれたが、「蝦夷 は先ずエミシと読まれ、平安時代後期からエゾと読まれるようになったということだ。 エミシという言葉には元々、強く、恐ろしく、畏敬すべき人といったニュアンスを伴っていたとされるが、本書の表紙にある異形の像は、蝦夷の族長・アテルイがモデルといわれる「悪路王」であり、まさにこうしたエミシのイメージを彷彿とさせてくれる。エミシは、5世紀以前には広く東国人を指し、6世紀から7世紀前半頃には仙台平野、米沢盆地、山形盆地、新潟平野、大化の改新以後は盛岡市と秋田市を結ぶ線以北に住む人々意味するようになるなど、朝廷の直轄支配地が拡大するのに従ってエミシの住むところは北上していった。

エミシとは何かについては、アイヌ説と日本人説が学会を二分してきた。アイヌ説は江戸時代の新井白石や本居宣長、シーボルトまで遡り、宣長は、長いヒゲを蓄えた姿をエビになぞらえたのがエミシの語源であるとした。一方、考古学の成果で弥生時代に稲作が東北北部まで広がっていたということが確実になると、日本人説が優位になった。しかし著者は、どちらかが正しくてどちらかが誤りという問題ではないと考え、特に北海道の歴史に対する認識を深める中で、エミシとエゾの実像に迫ろうとする。

一度は東北北部まで達した稲作の北限は、古墳時代になると寒冷化とともに南下し、東北北部は北海道の続縄文文化に包含される。再び温暖化に転じた7世紀中頃から農耕が復活し、族長の墓である古墳が作られるようになった。「この地域の縄文人の子孫は、平安時代の末近くまでは、北海道の縄文人の子孫、すなわち後にアイヌ民族を形成することになる人々とほとんど同じ道をたどったということができる」と著者は言う。 本書には、東北各地に残るアイヌ語由来と思われる多くの地名、マタギ言葉とアイヌ語の共通性などが示され、「これらは十分に問題となりうる としている。断定こそしていないが、著者は古代蝦夷とアイヌ民族の祖先との関連性を重視している。

大化の改新後、朝廷は東北地方に城柵を造営して支配地の拡大に乗り出し、阿部比羅夫による北方遠征、アテルイ率いる胆沢地方の蝦夷と坂上田村麻呂との戦いなどが行われた。724年に多賀城を造営した大野東人が後に山形から峠を越えて秋田に入ろうとした際、雄勝村の蝦夷に進軍を拒否されたいい、朝廷の力の及ばない土地であったことが分かる。一方、778年に唐から使節が来た際、陸奥や出羽から蝦夷を呼び寄せ儀式に参列させたという記録があり、蝦夷と表記されるようになったエミシは天皇に服属する辺境の異民族という役回りを与えられた。

このような中で、城柵は軍事拠点であると同時に交易の拠点でもあり、陸奥や出羽の国からは毛皮、砂金、昆布などが都への貢ぎ物として上納され、これらは蝦夷との交易によって入手された。また、下級官吏も蝦夷との交易で手に入れた品を都の貴族への贈り物とし猟官活動を行ったこと、交易のトラブルが蝦夷の乱を引き起こしたことなどが菅原道真の歌にあるそうだ。

本書のタイトルにある「英雄時代」とは、古代蝦夷が村の族長に率いられる部族社会で、時には村同士が戦い、時には蝦夷が連合して政府軍と戦い、時には一部の蝦夷が政府軍に協力して対立する蝦夷と戦うといった戦乱の時代であり、族長たちは自ら戦いの先頭に立つ「英雄」だった、ということを意味している。著者はそうした英雄像を、アイヌ民族に伝わるユーカラの中に見出そうとする。

エミシの住む所は、稲作を基盤に国土を広げていった政府にとってのフロンティアであり、貴重な北の産物を手に入れる交易の接点であった。これを北海道の島からみた場合、エミシは古代の北海道人の姿を映す鏡と言えるだろう。

縄文時代、津軽海峡を挟んで北海道南部と東北地方は共通の文化圏を形成していた時期が長く続いた。同じ形式の土器を使い、共通する祭祀を行っていたということは言葉も共有していたのではないだろうか。一時は北東北まで稲作が伝わり、稲作を伝えた人々が移住してきたが、寒冷化とともに稲作最前線が南下すると、北海道と北東北の関係は再び強まり、続縄文文化圏となった。東北地方のアイヌ語地名と思われる土地の呼び名は、この当時以前の名残りとしか考えられないので、だとすると北海道の続縄文文化の担い手もアイヌ語のような言葉を話す人々であったと考えても不自然ではないのではないか。

蝦夷の歴史を通して、続縄文からアイヌ文化期に至る北海道の歴史を考えると、札幌大学の本田文化学部長が提起されているように、「アイヌ文化期」という名称には疑問を投げかけざるを得ない。縄文、続縄文、擦文と「道具」を指標として時代を区分しながら、それ以降について「アイヌ」という民族名を冠した名称を用いるのは一貫性がなく、「鉄鍋文化」とでも呼ぶのがふさわしいのではないか。一方、民族に着目するならば、エミシの歴史に見るように、戦いと交易が盛んに行われたアイヌ民族の「英雄時代」の始まりは、13世紀や14世紀より相当遡ってしかるべきだろう。

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