著者:菊池俊彦(北海道大学名誉教授)
出版社:平凡社新書
発行:2009年10月
定価:760円+税
「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行すること十日、陸行すること一月なり。」古代史愛好家なら誰でも知っている魏志倭人伝の邪馬台国に関する部分である。しかし邪馬台国がどこにあったのか、未だ明らかになっておらず、魏志倭人伝の解釈も含めた論争が続いている。
本書のテーマである「流鬼(りゅうき)」は、唐代の中国から見た北の辺境の地であり、流鬼国とはどこにあったのかをめぐって清代の中国、極東に進出してきたロシア、大陸に進出した日本、それぞれの学者たちが様々な説を提示してきた。
- 流鬼の国は長安から1万5千里の彼方にあり、黒水靺鞨(こくすいまっかつ)の東北で、三面は海で隔てられている。
- 流鬼国の北、行程1ヶ月のところに夜叉国がある。
- 流鬼の国は、南にある莫設靺鞨(ばくせつまっかつ)から船行15日のところにある。
- 流鬼の人々は皮の服を着ており、イヌの毛や麻で布を作って着る。
- 640年、流鬼の使節が貢物(テンの皮?)を持って唐の皇帝に謁見した。
魏志倭人伝をほうふつとさせるような中国歴史書の記述である。靺鞨とは、中国東北部に居住した民族であり、高句麗や渤海などの盛衰のなかでも、最も北に住む黒水靺鞨は勢力が衰えることなく、唐への朝貢を絶やさず、海に乗り出して流鬼と交易を行っていた。そして莫設靺鞨とは、この北海道に住んでいた民族を指すようであるが、もちろん中国東北部と同族であるはずはない。それほど曖昧なイメージでしか捉えられていなかったのだろう。
過去の学説は、流鬼をカムチャツカ半島だとする説とサハリンだとする説に大きく分かれるが、その解明に向けては、かつて謎とされた北海道の「オホーツク文化」、そしてアイヌ民族の歴史が重要な鍵となる、ということが本書に示されている。
オホーツク文化の遺跡からは、ベーリング海にしか生息しないセイウチの牙で作られた婦人像が出土している。環オホーツク海を舞台とする人やモノのダイナミックな動き、古文書の記述などから見えてくる民族間の共通点と相違点、著者はそこから流鬼や夜叉を特定していく。
国境が現在のようではなかった時代、北海道は、日本海、オホーツク海という海の道で大陸とつながり、アイヌ民族はアムール川を遡るなど盛んに交易を行った。北方諸民族の交流・興亡の歴史の中で、北海道は決して「歴史が浅い」などと形容されるべき島ではなかった、ということが改めて理解できる。
本書が導き出す結論については、推理小説の書評に謎解きの答えが書かれないように、読んでのお楽しみに。






